| SJ: |
まずは、あなたの生い立ちについて話してください。 |
| JB: |
私は今36歳で、オハイオ州クリーブランドの郊外にあるシェーカーハイツという町の出身です。私は裕福な住宅地で育ちました。母は公民権運動の活動家で、
南部の黒人の有権者登録を推し進めていました。
彼女は平和部隊にも所属していて、20代の頃から60代までずっと積極的にリベラル運動の活動をしていま
した。晩年には、キリスト教会をゲイやレズビアンを受け入れるように改革する運動に関わっていました。実は、彼女はそれで逮捕されてしまったのです。彼女
は今年亡くなったのですが、亡くなるほんの1、2年前くらいに捕まったのですよ。本当に最後まで精力的でした。これまで同性愛者の運動に関わって逮捕され
たことなんて私にはないのに、母にはあるなんて面白いでしょう!
母は、オハイオでセラピスト兼精神科医として働いていました。私が10歳になる頃まで、母
は16歳未満の子どもたちを主な対象としたセラピストとして開業していました。私が10歳になった時に始めたのが 数百万ドルをかけたNPOで、
“New
Directions”という名前の、主に子どもたちを対象とした薬物中毒リハビリ施設でした。『Go!Go!チアーズ』はそれについて描いたものです。
彼女はすごく格好良くて、とてもリベラルで協力的な人でしたが、リハビリ施設の運営に関してはすごくきっちりしていて、ちょっと軍隊のような厳しさもあり
ました。彼女はすごく強い女性でしたから、周りに指示を出すのがうまかったのですが、それは私にとって好都合でしたね。幼い頃からそんな母の姿を見て、ど
うやって物事を取りしきり、人を管理していくのかを学んだことが、自然に今の監督業につながっているいるのだと思います。
でも、それはそれで大変でした
よ。私はリハビリ施設ではなく自宅で暮らしていましたが、母は家でもリハビリ施設の子どもたちに対するのと基本的に同じルールを私に対してしいていたので
すから。だから、彼女はすごくリベラルな考えの持ち主でしたが、我家の生活はすごく規則にしばられ、私はいつもそれに反抗していました。家のルール集が
あって、「毎日ベットメイキングをすること。そして、それができていなかったら15分ごとに1ドルの罰金を課す」といったことが書かれていて、全ての指示
に同意していることを示すために、私たちはそのリストに署名もしなくてはいけませんでした。あと、学校の成績について、「あなたは絶対にAかBを取らなけ
ればならない。この契約に署名せよ」という契約までありましたよ。クレイジーですよね。それで、私はそんな風に育ったので、『Go!Go!チアーズ』を作
る時、コメディでゲイであることを描くとともに、そういった厳格なものの考え方についても描こうと思ったのです。それは、言わば私自身の全てでしたから。 |
| SJ: |
兄弟姉妹はいますか? |
| JB: |
兄が一人、弟が一人います。昔から仲が良くて、今でもそうですね。彼らは私にそっくりですよ。私たちは母がちょっとクレイジーだったのには気がついていましたが、同時に彼女がすごく私たちを支えてくれてたことに感謝しています。私たちはみんな、それぞれのキャリアで成功していると言えます。母は、私たちにそれが大事だと教えていましたからね。兄は、ニューヨークのCBSニュースで働いていたこともあるテレビプロデューサーです。弟のほうは、とてもキュートな人です。いつもシャイでおとなしい子で、私は彼を殴ったりもしました!弟は、主夫として子どもたちの世話をしているのですが、彼のパートナーはエクアドル出身の、高い地位にある聡明な教授です。 弟は4か国語を話し、すごく学歴も高いのですが、専業主夫として暮らしていますね。
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| SJ: |
では、お父さんは? |
| JB: |
父は弟によく似ていて、すごくもの静かで、協力的ないい人でしたが、すごく面白いユーモアのセンスも持ち合わせていました。母より父のほうが子育てに熱心でしたね。 |
| SJ: |
お母さんはどうして亡くなったのでしょう? |
| JB: |
卵巣がんでした。日本に行って、帰ってきた時に体調が悪かったのは時差ボケのせいだと母は思っていたみたいなのですが、医者に行ったら、「あなたは卵巣がんの第4ステージで、余命3ヵ月です」と言われたんです。とても急でしたね。私はちょうどテキサスで 『dot.ドット』という私の2本目の作品を撮っている最中で、赤ちゃんも生まれたばかりでしたから、とても大変でした。赤ちゃんはまだ生後2週間で、私がその映画の監督で、私のガールフレンドがそのプロデューサー。そして、そんな時に母から電話がかかってきて、「私は末期がんで、あと3ヵ月で死ぬって」と言われたのです。彼女はそれまでずっと病気知らずで、いつも元気でした。とても急で、それから1年くらいだったでしょうか。それは恐ろしい出来事でしたが、ある意味、私も死ぬ時にはああいう風に死にたいとも感じました。ずっと元気に生活してきて、死ぬ時はあっという間に。 母が病院にいたのはたったの2日間で、私たちみんなで看取ることができ、最後までしっかりしていて、ちゃんとお別れを言う時間もありました。だから、最悪の状況でありながらも最高だったと言えます。
面白いのは、私は赤ちゃんもいるし母の死期が近づいているから映画の撮影はやめようと思っていたら、母が、「あなたが映画をやめたら、私は内側から殺される。やめるなんてだめ。やらなきゃいけない」と言ったのですよ。実は、彼女はトロント映画祭で映画がプレミア上映されるまで生きることを目標にしていて、「私は絶対にプレミア上映に行きたい!」と言っていましたが、その言葉通りになりました。彼女はまさにそんな大きな人でしたね。
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| SJ: |
では、あなたのカムアウトのプロセスについて教えてください。 |
| JB: |
16歳の時には友達全員に性的なファンタジーを抱いてることに気がついていたから、多分、当時からそういう傾向があったんでしょうね。ボーイフレンドができたのは大学生の時でした。ニューヨークに来て最初の一週間で出会った男の子とやがて親友となり、つきあい始めたのです。 彼が、私が初めて真剣につきあったボーイフレンドです。 彼と知り合った時に、私がバイセクシュアルで、男女どちらとも経験はないけれど、両方に惹かれるということを話しました。確か、彼が私がそのことを話した最初の相手ですね。話す必要があったんですよ。「ねえ、私はあなたとつきあおうとしている。でも、私は女性にも惹かれるんだということをあなたに知っておいてほしい。だから、もしあなたがそういうのは苦手なら、このことは忘れて。あなたとは仲良くできるけれど、私にはそういうところもあるの」と伝えました。結局、彼はそれでも平気で、私たちは学生時代ずっとつきあっていました。
それで、卒業後に彼に言ったんです、「女の人といることがどんなことか、どうしても試す必要がある。あなたのことは愛しているし、あなたは私の友達で、性的にも惹かれている。でも、私は女の人ともつきあってみなければいけない。それがどんなことなのか知らないし、知る必要があると思うから」と。私は彼と一緒に暮らしながら、同時に女性たちともつきあい始めました。私は誰に対しても正直でいたし、彼も分かってくれていたと思うのですが。でも、最終的に彼をすごく傷つけてしまいました。私が悪かったと、そうすべきではなかったと思います。彼が私に対して好意的だった分、本当に彼のことを傷つけてしまって、最後はとても大変でした…結局、私は彼を振ってしまいましたから。彼の車を借りてデートしていた女の子と付き合うために!それでも彼は理解してくれて、今でもとてもいい友達です。彼は映画監督で、私のガールフレンドは今、彼の映画をプロデュースしているのですよ。近親相姦みたいですよね!
とにかく、その時の女の子が、以来11年間つきあっている私のガールフレンドです。つまり、彼と6年つきあって、その後、彼女と11年つきあっていることになります。 ある意味、2人ともとてもよく性格が似ていますね。
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| SJ: |
あなたがカムアウトした当時、レズビアンの有名人は誰かいましたか?
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| JB: |
グウェネヴァー・ターナー。『ゴー・フィッシュ』を観ましたけれど、もちろん気に入りました。 それを観たのは、大学を卒業した1993年でした。それが私が最初に観たレズビアン映画です。すごく政治的で、おかしくて、芸術的で、大好きでしたね。また、私はそれまでフェムのレズビアンを見たことがなかったので、グインのキャラクターにとても共感を覚えました。もちろん、大学時代にフェムのレズビアンを何人か知ってはいましたが、私の大きな悩みはほとんどのところ、レズビアンたちは私が同性愛者だとは思わないから私に言い寄ってきてはくれないだろうということでした。そのことを苦々しく感じていたので、その時は「もっとブッチみたいに見えるようにしようかな?そうしたらモテるようになるかな」なんて思いましたけれど。でも、本来の私はブッチからはほど遠いので、それでは詐欺みたいなものですよね。 だから、明らかにフェムであるグインにとても共感したのです。実は、私がニューヨークで初めて行ったゲイバーは“The Clit Club”で、一緒に行ったのは『ゴー・フィッシュ』のローズ・トローシュ監督でした。大学を出た直後のことです。
私がカムアウトしたのは22歳の時ですが、遅すぎましたね。今からすれば、16歳の時にカムアウトしていたらもっとすっきりしていたのに、と思います。 |
| SJ: |
家族へのカムアウトは? |
| JB: |
ある程度は前々から話していましたが、兄弟が、「あぁ、本気だったんだ」と言った時のことははっきりと覚えていますね。私はいつも自分はバイセクシュアルだと言っていたつもりでしたが、彼らはといえば、「そうかい、でも何か証拠はあるの?」という感じで、私は、「うーん、ない…けれど、心の中には…」と言うんです。最終的には彼らも信じてくれましたが。彼らはとても協力的でした。と言うのは、母のほうは、私がそのことを打ち明けた時に当然ながら泣いたのです。彼女はすごくリベラルでしたが、私が子どもを持つことはないかもしれないということに心を痛めていて。でも、私が、「ママ、私は子どもを持つつもりよ」と言ったら、彼女は元気になりました。私が子どもをつくろうと決めた時には、彼女はとても喜んでいましたよ。母はまた、「でも、あなたは運動オンチじゃない!」とも言いました。母にはレズビアンの友達がいたのですが、みんなブッチな女性ばかりだっだので、それがショックで困惑したのです。母は、「見たところ、あなたはそうではないと思うけれど」と言っていましたが、すぐに慣れてしまったようで、私は母に拒絶されたり、そうされるかもしれない不安さえ感じることはありませんでした。 |
| SJ: |
あなたは自分をレズビアンだと思いますか? |
| JB: |
私は、自分のことを間違いなくレズビアンだと思っています。11年間レズビアンの恋愛関係にあって、レズビアンとして生きていますから。深いところでは、私はバイセクシュアルであると認識していますが、そう主張するのは正直ではない気がします。私はバイセクシュアルとして生活してはいませんからね。これは複雑で、ラベリングに関する問題だと思います。それによって制限されてしまうから、レッテルを貼られるのを好まない人たちの気持ちはわかりますよ。でも、一方で、自分自身をラベリングすることの持つ力も知っています。ロールモデルになることは大事ですからね。それで、私が自分をレズビアンだと定義づけて、それをオープンにするようにしているのは、私が毎日レズビアンとして生活していて、私の娘がレズビアンの娘として生活しているからなのです。 |
| SJ: |
「レズビアン文化」というものを信じていますか? |
| JB: |
「LGBT文化」に対して「レズビアン文化」を持つのは大事なことだと思います。なぜなら、LGBT文化の問題点は、それが大抵「女性は底辺に位置している」ということを意味するからです。(これは結局フェミニズムの話になってしまうのですが)同性愛者のコミュニティは、異性愛者のコミュニティよりも性差別的なところがあるということが問題です。なぜなら、少なくとも異性愛者のコミュニティの男性は女性に惹かれるので、どの道女性と関わっていかなければなりませんが、一方、ゲイの男性の中には本当に性差別主義者がいるのですよ。これは世界中で起こっている問題だと思います。レズビアンとゲイのイベントをやろうとしても、いつも男性が支配権を握ってしまいます。あるいは、レズビアンバーがあっても、そこにゲイの男性が来るようになると、結局そこはゲイバーになってしまうのです。だから、自分の場所は自分で守らなければいけませんよね。 エゴかもしれませんが、でも、大部分はお金と特権の問題です。男性には特権があり、より良い仕事、より多くの激励、全てをより多く得る機会がより多くあり、それによってより多くのお金を手にする訳です。 そこで、女性はいつも脇に追いやられてしまいます。 だから、私はレズビアン文化やフェミニスト文化はすごく大事だと思うのです。 |
| SJ: |
あなたのガールフレンド、アンドレア・スパーリングとはどこで知り合ったのですか? |
| JB: |
サンダンスです。 彼女がプロデュースしていたグレッグ・アラキの映画がサンダンスで上映されていて、私もその時に短編作品で参加していたんです。面白いものですね…。 |
| SJ: |
一緒に働くのはどういう感じですか? |
| JB: |
私たちは、2、3年に一度は一緒に映画を作ることにしています。彼女は今、私の元ボーイフレンドと一緒に映画を作っていますが、彼女はすごく良く仕事ができて、それで私はますます彼女や彼女のすることに惹かれてしまいます。これまで、彼女以上にできる人と一緒に働いたことはないですね。彼女は映画のプロデュース業をしていますが、寡作で作品の間隔も空いているので、私が年に10本くらいのテレビドラマを手がける一方で、彼女は年に1、2本の映画を制作しているという感じです。仕事量は彼女のほうがとても少ないですね。彼女は大体家で仕事をしていて、家に事務所を構えているので、時間に余裕があります。彼女と一緒に働くことはとても好きです。それが彼女と恋に落ちた理由の一部ですが、それも私たちの関係の大切な要素ですね。私たちはお互いが別々のことをして、お互いを補いあっています。彼女は人々の要求を満たすのが得意で、私は自分が欲しいものを要求するのが得意です。だから、パーフェクトですよね! もし2人とも私のようなタイプだったら、それは悪夢!私たちはすごく良いバランスを保っていて、お互いに100パーセント違うのです。私と彼女ほど違っている人たちなんて、他にはいないかもしれません。 |
| SJ: |
あなたには娘さんがひとりいて、今も妊娠中ですね。家庭生活と仕事のバランスはどう保っているのですか? |
| JB: |
本当に大変ですよ。住み込みの従業員がいるのですが、一緒に住んでいて、言わば私たち2人の妻であり母である人です!彼女は21歳で、スウェーデンの出身。ロサンジェルスでは、住み込みの従業員を雇うのはよくあることです。あとは、私のガールフレンドは私よりも仕事量が少ないというのもありますね。ストレートの友達が大変な思いをしているのを見ていると、私はとてもラッキーだと思います。レズビアンの関係のいいところは、ガールフレンドがより助けてくれるということですね。実際のところ、彼女のほうが主に母親業をしていて、私のほうが稼ぎ頭です。自然にそうなりました。私もそのようにして育ち、父が家にいて母が働いているほうが多かったので、気になりません。確かに、彼女のほうが私の父に似ていますね。私は当然のごとく、娘がより多く働いている親に対して持つ恨みのようなものを常に持っていたので、これは興味深いことです。今や、私がそういう親になってしまっているのですから! |
| SJ: |
以前から自分で子どもを産むつもりだったのですか?
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| JB: |
私は子どもを産むことには興味がなかったのですが、彼女が医者に行ったところ、彼女は子どもが持てないということがわかったのです。誰かを雇って代理出産してもらうことも考えましたが、それには10万ドルもかかるらしくて。それで私は、「私が産めばいい。そのほうが簡単じゃない!」と思ったのです。
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